筑波山の南に 「小田(おだ)」 というところがあります。 この城に住む小田政治(おだまさはる)は、
強気の性格で、 戦いくさが得意でした。 城を攻めたら必ず取り、 戦たたかいに勝たなかったことはないという豪傑でした。 一方結城には、 結城氏広(うじひろ)というこれも大変戦いくさが得意な人がいました。 お互いにライバル意識をむき出しにして、 なんとか相手を破りたいと思っていました。 ある時、 小田が、 結城を攻めようと下館まで進出してきました。 結城もこれを迎え討とうと出陣しましたが、 下館が要害の地のため攻め切れず、 小田も鬼怒川が邪魔をして結城まで攻め込めず、 二人は歯ぎしりしてくやしがっていました。 この時、 結城氏広の親戚だった水谷勝氏(みずのやかつうじ)は、 結城に住んでいましたが、 ある計画をもっていました。 わざと結城氏広と仲たがいをしたようにして結城を出てしまい、 筑波山のふもとに屋敷を造って暮らし始めました。 小田政治はこれを聞いて、 しきりに味方にしようと勝氏を招きました。 勝氏は誘いにのってしばらく小田に属していましたが、 ある時小田のすきを見て下館城を奪い返すことに成功したのです。 小田はくやしがりましたが、 下館城は要害の地にあり、 また背後には結城が控えていますので、 手を出すことが出来ませんでした。 この城はもともと勝氏の先祖である秀郷が、 最初に館を築いたところでしたし、 小田軍からの防御の意味もあって、 結城氏広もこの城を勝氏にほうびとして与える事にしました。 こうして勝氏は文明十年 (一四七八)、 下館城を再興して以後代々この地に住む事になり、 年ごとにその勢力を増していきました。 |